梅原"Paul"達也
1961年2月6日、沖縄生まれ。ヴォーカリスト。
作曲、アレンジ、プロデュースも手がける。
現在は、自らのグループ「Paul-Position」での活動をメインとして
主に東京都内でライブ活動を行う。
梅原"Paul"達也さんのオフィシャルサイト: http://www.wix.com/paulposition/paulposition/
44MAGNUMのオフィシャルサイト: http://www.44magnum2001.com/
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現在までの活動
- 1977年
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ハードロックバンド「マグナム44」を大阪で結成。
数度のメンバーチェンジを経てバンド名を「44MAGNUM(フォーティーフォーマグナム)」に改め、積極的にライブをこなしつつ東京へ進出。 - 1983年
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アルバム「DANGER」でメジャーデビュー、国内外でライブとレコーディングを重ねる。
スタジオレコーディングによるアルバム6枚、数々のシングルとプロモーションビデオ、ライブアルバム等をリリース。 - 1989年
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「44MAGNUM」解散。
ファンクバンド「RHINOCEROS(ライナセロス)」に参加。 - 1990年
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アルバム「SAVE THE RHINO」とシングル、プロモーションビデオをリリース。
- 1991年
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アルバム「FUNK ON THE RAILROAD」をリリースした後、脱退。
ライブセッション、スタジオワーク、楽曲提供、プロデュース活動等のかたわら、ヴォイストレーナーとして後進を育成。
大阪でのアマチュア時代を知るMATSU(TABLET)、セッションワークを通じて知り合ったHIROKAZ(TABLET)らとの交流が活発となり、MDMP(MAD DOG MASTER PAUL)名義でのクラブイベント出演や、ヒップホップのバックトラック制作へと活動範囲を広げる。
- 2000年
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「44MAGNUM」再結成。それに伴いアルバム制作開始。
- 2002年
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44MAGNUMのアルバム「IGNITION」をリリース。
- 2003年
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ヒップホップとR&B中心のレーベル「PAUL-POSITION」を立ち上げ、ミニアルバム「Paul Position」をリリース。TABLETのMATSUとHIDEも「DE DERRIERE」として参加。
- 2004年
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筋強剛や歩行障害などのパーキンソン症状が顕著となり、レーベル「PAUL-POSITION」活動休止。
- 2005年
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進行性の神経難病である「若年性パーキンソン病」との診断を受ける。
- 2006年
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4月
「TABLET」が出演するライブへのゲスト参加を皮切りに、音楽活動を再開。10月
大阪にあるライブハウスBahamaでのイベント参加に際し、初めてステージ上で病名を告白。12月
自身のウェブサイト「paul-position.com」を立ち上げ、そのサイト上で病名を公表。 - 2007年
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4月
自ら音を楽しむためのバンド「Paul-Position」を始動させる。当初はギタリスト西尾智浩(泥沼楽団、GAPPA)と、自らの長男でヴォーカリストのStevie、ベースとドラムはサポートメンバーという構成。
同時期にウェブサイト上で復活宣言した「44MAGNUM」にも参加を表明。5月
オーディションにより「Paul-Position」の正式メンバーとしてベーシストAZUSAとドラマーA-Yaを迎え、自らが強くリスペクトするロック、ソウル、ファンク、R&Bの要素を凝縮したライブを展開。
9月
更にバンドの音楽表現の幅を広げるべく、オーディションにより「Paul-Position」の正式メンバーとしてキーボーディストMAMIを迎える。